2005年11月16日

半身浴解禁

ユニットバスは湯を浴槽に溜めたら髪や体を洗う場所がなくなる。知り合いにはいつも便座に座って洗うという大陸的発想でもって問題をなきものにしているサムライもいるが、おれは自分が受けてきた道徳のためにそれはどうもできない、ってかする気になれない。

夏は基本はシャワーのみでなんら問題ない。しかし冬はそうはいかない。シャワーの出すやわな洗礼ごときでは体を芯まで温めることはできないからだ。タオルで体を拭いてからリビングに戻ったとしてもなんとも肌寒くて孤独感に苛(さいな)まれそうになる。

しかももう立冬も過ぎ冬本番だ。いつの間にかベランダから見える東の山々は緑を制し、赤や茶に攻め込まれつつある。今日の寒さでついにおれは手袋を引っ張り出した。

日々のルーティンワークを終えて夜遅くにやっと帰ってきてリフレッシュしてゴロゴロするためにはシャワーでは荷が重い。やっぱ湯に浸からんと!

そこで昨日、今年の2月ごろにやってた半身浴を解禁した。
ちなみにボジョレーヌーボーの解禁日は明日だ。

暑い湯を浴槽半分くらいまで溜めて20分くらい入っとく。上半身を湯にかけていなくても20分経てば汗だくだ。そっから体洗って外に出れば、いつもは冷たい部屋も窓を開けたくなるくらいに暑い。昨日はビールが家にあったからまたたまらない。もう「オッサン」といわれて言い返す言葉が見当たらない。

その20分間耐えるのが普通はきついとこだ。あまりの暑さ、試練のときだ。おれはその時間はリビングで音楽をかけ、それを聞きながら考え事をしてるとすぐに過ぎている。ふろに浸かっている間はなぜか通常よりもスピリチュアルな次元で思いをめぐらせることができる。それに集中するためにあえてライトを消してあたりを真っ暗にすることもある。シャワーの頭や洗面台の位置さえ見えない、漆黒だ。ライトを消すと一気に音楽が大音量で聞こえるようになる。外部からの情報をそぎ落とすと人は情報を頭で作らなきゃいけなくなる。内面的で精神的な考えをすることができる、というよりせざるを得なくなる。
その考え次第で、自分がこの世界でより刺激的な生活する為ののエネルギーやアイデアが湧いたりすることもあるから不思議だ。
人間ってのは自らの思い込みでなんとか死なずにすむんだろう(思い込めなければ軽々と死ぬんだろう)。洗うとはこんなことだ。なかなか悪くないひと時だ。
posted by Khaki at 20:03| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | hitorigoto | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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